カリフォルニアの Rialto・Chino・Anaheim・Irvaine・Laguna niguel [日記 雑感]
スカパー!のドキュメンタリー番組を見ていて、加州にある「Rialto」(リアルト)という街の地名が気になって、その所在地をGoogle Map で確認したところ、愛國飛行少年垂涎の「Chino」(チノ)や野球小僧涙の「Anaheim」(アナハイム)、そして太平洋戦史研究家D・K氏の住む「Irvaine」(アーバイン)が数珠つなぎで現れた。

そしてオマケにGoogle Mapの一番南には、「Laguna niguel 」(ラグーナ ニゲル)の地名。ここは、20年ほど前にアメリカの宅地開発の実例とハウスデザインの勉強で立ち寄った所で、海岸沿いのレストランで昼食を摂ったことを思い出した。
Google Map上の話しだが、余りにもシブ過ぎる展開に愛國飛行少年の端くれとしては、やはり Chino を目指して行くしかあるまいと、Irvaine のMr.DK宛てに展開の不思議をe-mailした次第。少し南に行けばアメリカ海軍のメッカ「San Diego」もある。
伏見(酒蔵見学)~宇治(精進料理)・大人の遠足 [京都グルメ]
過日、10時50分に京阪・中書島駅から約5分のところにある「月桂冠大倉記念館」前に10人の善男善女集合。
11時より予約の酒蔵見学。
酒造りの基本を学ぶ。

お勉強の後は、宇治川沿いをタクシーで15分。宇治・黄檗山 萬福寺を開山した隠元禅師の名前を冠した「隠元橋」を通って到着。
その門前の「白雲庵」にて、普茶料理(精進料理)を楽しむ。
動物・魚を一切使わない料理に感嘆しきり。
滋味深い40を越える品々に脱帽。

中身は、レンコンだという餃子もどきが入ったおすまし。
月桂冠の搾りたて冷酒に陶然(適量の持ち込み可)。
当庵に注文した紹興酒のロックで爽やか。全部で、23杯のお代り。オヤ、呑みましたね。

〆は、「行 堂」(ひんたん)と呼ばれる季節ご飯。
季節ご飯は、緑茶が入ったご飯で、大満足。
10人は、京阪・宇治線 黄檗駅から中書島駅へ。
中書島駅で、大阪・京都方面へ。再会を約して遠足を終了した。16時の頃であったか。
大倉記念館:075-623-2001 / 白雲庵:0774-32-0700
クルージングのお土産 [トラベル]

先刻、某氏からシンガポールからのクルージングのお土産として、関係の本が届いた。
パラパラとめくると、旅の極致は、クルージングだと改めて認識させられる。


上の写真(右)は、英国客船「QE」のクイーンズルームに於けるカクテルパーティだそうだが、社交という文化が根付いていることを思い知らされるシーンだ。


お土産が本だけではつまらんだろうと、ジャックダニエル[1ℓ]とイタリアのリキュール・ディサローノ[1ℓ]が同梱してあった。
ディサローノは、小生初体験。呑み方は、ストレートかロック又は貴君が好きなソーダ割りでどうぞとメモ書きがある。
氷にウィスキー7:ディサローノ3のカクテルを「ゴッドファーザー」と云い、そのウィスキーをブランデーに置き換えたら「フレンチコネクション」と云うのだそうだ。シブイ名前である。
この酒は航行中、船のショップで買い求めたとのことなので、心して呑まねばならないと思っている。勿論、全ての呑み方をするつもりだ。
平成24年 皐月 京都 新緑寸景 [京都四季]




太平洋戦史研究家の「空飛ぶ海軍」 [海軍]
太平洋戦史研究家のDAN KING氏がインタビューした帝國日本海軍の軍人は100名近くにも及ぶが、このほど5名の零戦搭乗員を選び出して発刊する。
左は、その本のデザインだが、「空飛ぶ海軍」の文字を入れた場合の適切と思われる「字体」を何種類か送って欲しいと依頼を受けた。デザインは、5人の搭乗員が操縦する零戦を英霊となった搭乗員が見守っているシーンなのだそうだ。
楷書体や隷書体など6種類の字体を選んで、デザインに入れて送ったところ、「楷書体」が一番シックリくるとのことであった。

現地デザイナーには、「空飛ぶ海軍」の文字は敢えて要らないとの意見もあるようで、その場合は、左のようになるとのこと。
ただし、搭乗員の名前は、「筆字」がベストとのことで、原田さん、笠井さん、宮崎さんなどこの本に取り上げられている5人のフルネームを書いて頂き、それをスキャンして送った。
アメリカ人が帝國海軍を一生懸命になって伝えようとしていて、ちょっと不思議な感じ。
発刊されたら僕に一冊届くことになっている。
折りたたみ自転車で、京都市内から宝が池方面へ [自転車]
平成24年5月13日(日)・晴れ:昨日、琵琶湖北部を走った天候と正反対。午前7時40分京都市中京区をスタート。
「御池通り」を東へ。「寺町通り」を北上。「丸太町通り」を北へ越えると、「御所の東側ストレート」1.3㎞が待っている。この距離を信号を気にせずに走れるのは、京都市内では稀だ。そして「今出川通り」を更に北へ進み、出町柳商店街を右に見て、50~60mあたりを右折すると「葵橋の西詰め」(鴨川本通り)に出る。
「鴨川本通り」をひたすら北へ。宝が池球技場の通称「狐坂」へのアプローチにある自販機で、水を補給するのが僕のいつものパターン。宝が池トンネルに向かう途中、2名のサイクリストとすれ違う。朝の挨拶が爽やか。
今日は、国際会館から同志社高校~同志社小学校を経て西へ。北稜高校を越えて、「深泥池」へと駆け下る。下りでは、43.4㎞を記録する(住宅街を通過するので慎重に)。

深泥池で、水分補給。鏡面状態の池が綺麗。
暫し後、すぐ前の「鞍馬街道」を南下する。「北山通り」を越え、ひたすら南下すると「北大路通り」に出る。右折してすぐの小さな通りに入り込むと、信号の無い快適通りになる。
この快適通りは、やがて鴨川本通りと交叉して「葵橋東詰め」に出るのだが、その途中、鯖寿しの「花折」(はなおれ)の下鴨店があって、昼食用に買い求める(2人前目安で、2,415円)。

葵橋を越えて、鴨川河畔(西側)を走ると新緑が眩しい。
光の回り具合も良く、木々の撮影には最適。
午前中の少し早い時間ならどこのベンチも空いているので、ブランチを摂るのも良いだろう。

何と云う名前の花だろうか。青空と相まって、ワイキキビーチ近くのカピオラニ公園を彷彿とさせる。
昨日経験した滋賀県 「永原」から「マキノ」に抜ける峠で、吐く息が白かったのが嘘のような陽気で、結構、結構と思いながら走っていたら、いつの間にか「三条大橋」まで来ていた。

本日の走行距離は、23.3㎞。
本日使用したDAHON Vector X10 を購入して1年。1年間の総走行距離(オドメーター)は、653.4㎞ となっている。
帰宅して、洗車と給油で次の走行に差し支えないようにするのも大切だ。ザックやグローブ、ヘルメットは、陰干し乾燥させてから収納。
京都から永原まで輪行。マキノを経て、近江今津へ [自転車]
京都駅7時25分発の普通「永原」行きで終点まで輪行(1時間20分・1,280円)。永原駅で愛車(DAHON Vector X10)を組立て、WCを拝借、自販機で飲料水を調達する。
駅前を右手(山側へ)、5分も上るとR303に。左折してトンネル方向へ登り上がる。平成24年5月12日(土)午前9時20分頃の峠の気候は、曇り時々小雨で肌寒く、吐く息が白い。1.5㎞のトンネル通過を慎重にして、R161と合流し琵琶湖方面へ左折する。途中、何台かの陸自の兵員輸送ビークルとすれ違ったが、ドライバーが一様に固まった姿勢で面白い。そして、まんまピーターフォンダとデニスホッパーの「イージーライダー」の一団が僕を追い抜いて行く。
マキノ町「小荒路」で、R287へ右折する。正しい日本の風景が続くが、晴れの天気予報が外れ思い描いた写真を撮るのは不可能で、やがて到着した1.5㎞ほど続く「メタセコイア並木」にも晴れていたならばと、今日は心が全く動かない。
早めの撤収を決め、メタセコイア並木を疾走する。ウダウダと前を走る軽四輪をパスして気合いを入れる。道をひたすら真っすぐ琵琶湖方面に向かうと、やがてサイクリストの聖なる道路「湖周道路」に出る。右折して、幾つ目かの小さな橋を越えると近江今津の町になる。町中にある「魚清」で、「子鮎飴炊き」と「子えび佃煮」を買い求めて、11時10分発の新快速電車で京都へ戻った。背中にカメラを背負ったまま1度も取り出さなかった。よって今日は1枚の写真もない。人生こんな日もある。
湖魚佃煮詰め合わせ:¥2,000
「魚清」 のHPから
僕が購入したのは、子鮎飴炊き と 子えび佃煮を其々200gづつ。
店の前の道路を挟んで建っている加工所で豪快に焼く「鰻の蒲焼」も美味。場所は、香ばしい臭いと火事のように煙が上がっているのですぐ判る。
☆本日の走行距離:30.06 ㎞。
任務完了 一等海佐から高等学校長へ [海上自衛隊]
海自フリークの間では、夙に有名。ミポリンこと竹本三保一等海佐が退官して著したのが「任務完了」。

海上自衛隊幹部候補生学校・第4期婦人課程を卒業して、三等海尉(海軍少尉)から一等海佐(海軍大佐)までのことが綴られている。
一等海佐に任官する直前もパワハラがあって、この階級に上り詰めても......と考えさせられる。
通信のプロフェッサーとして転勤、結婚、出産とよくぞここまでと感心させられる。そして、東日本大震災前夜の青森地方協力本部長就任そして被災対応などなど、女性自衛官の草分けとしての活躍が種々書かれている。もう少しラフな表現でも良かったのかと思うが、それは商売柄出来なかったのだろう。

過日、海軍関係の懇談会に、本人がお見えになったので、丁度読了したばかりの本書にサインを頂戴した(予めサインペンを持参)。
彼女が持参された十数冊は、あっと云う間にサイン付きで完売になった。
海自のP3-Cで、ホノルルまで15時間掛って赴いたことがあったそうだが、心優しい僕は、男性仕様の軍用機の「WC」のことがすぐ気になったのだが、そんなことは屁とも思わないのが、女性士官であることが判った。それにしても、関空からホノルルまで8時間でもウンザリなのに、P3-Cで15時間!参りました。
彼女は、今春からは、大阪府立狭山高等学校の校長さんである。頑張ってくれい!
なお、本の収益金は東日本大震災の為に寄付されるとのことである。 敬礼!
第4回 モトクロス日本GP 1967年(S42) カワサキ赤タンク [日記 雑感]
連休前、ネットである調べものをしていたら、突如として45年前にタイムスリップさせる写真や名前が怒涛のように押し寄せてきた。それは当時、熱中していたモトクロスのオートバイメーカー所属の方々の写真や名前で、懐かしいという範囲を越えた「衝撃」が押し寄せてきた。

左の写真は、1967年(昭和42年)5月14日に福島県郡山市郊外で開催された第4回 モトクロス日本GPのワンシーンである。(写真は小生)
「セニア」90ccクラスで快走する山本選手と歳森選手。両名共にカワサキの契約ライダーで、赤のタンクにカワサキの白文字。泣く子もだまる「神戸木ノ実レーシング」所属であった。
このGPでは、ワンランク下の「ジュニア」部門で、19歳の星野一義選手(あの星野さんです)が、90ccと125ccクラスで優勝し、カワサキの契約ライダーへとステップアップして行く。

この時代、「セニア」クラスと呼ばれたオートバイメーカー所属の方々は神様のような存在で、そんな10数名の写真と名前がネットから一気に溢れ出してきた。
「神様」の何人かの方がブログやホームページを開設していたのが今回の大ヒットに繋がった。その中には、最近撮られた写真もあって、20数枚拝借して、当時を知る旧友2名宛ての手紙(A4 10枚)に貼り付けさせて頂き、1960年代のカワサキのデータ(A4 8枚)と一緒に送ったところだ。
旧友からは、きっと驚きの返事がくるだろうと思っている。大きなモトクロス大会には、ファクトリーのライダーが出場するので、少し遠くとも観に行ったものだった。すると小生は、今で云うところの「追っかけ」だったか。
これは、小生、未だ16歳の頃開催された第4回 モトクロス日本GP の車両通行証。これをオートバイのヘッドライトに貼り付けてゲートを入ったことを思い出す。

RH68を駆って激走するスズキのヤジキンこと矢島金次郎選手(城北ライダース所属)。2006年死去と知って驚いた次第。銀色に赤いSのマークのタンク、そしてダウンチャンバーから発せられる音が今でも蘇えってくる(写真は小生)。
数名の方のブログから拝借した写真を公開すれば、より詳しく判るのだろうが、それは出来ない。ゴールデンウィーク中、小生の頭はすっかり昭和40年代だった。









